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あしあと

    こんな講座ありました(春の大和の歴史地理探訪)

    • 更新日:2014年6月18日
    • ID:5118

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    春の大和の歴史地理探訪<登美ヶ丘公民館:2014年4月27日(日)~5月18日(日)全2回>

    大和の歴史ある特定の地域について、歴史・地理、双方の視点から学習することで、地元・奈良への理解をより深めることを目的に開催しました。

    講師には、奈良大学文学部地理学科 教授 土平 博先生をお招きしました。

    講座は、40人の募集に対し61人のお申込みがありました。

    2014年 春のテーマは、「ならまち~帯解まで上街道を歩く」でした。

    コースは、ならまちセンター集合→猿沢池→率川→元興寺→ならまち→肘塚町→上街道→帯解寺→帯解駅の約5キロメートルの行程でした。

    1回目 4月27日(日)

    まずは、公民館で現地学習の前の事前学習を行いました。

    絵図や航空写真を用いて、その土地の地理や歴史を学びました。

    座学

    資料をもとに講義をしました。
    いつも通る街・道について改めて講義を受けると、新発見がたくさんありました。

    ならまちの位置

    プロジェクターを使った説明でした。
    画像で説明を受けると、平城京の外京と「ならまち」の位置関係が分かりやすかったです。

    2回目 5月18日(日)

    2回目は、現地学習でした。

    実際に現地を訪れ、寺社や街並み、地理的な特徴などを学習しました。

    奈良縣里程元標

    ここは、橋本町の三条通り「奈良もちいどのセンター街」の入り口近くの高札場前にある「奈良縣里程元標」です。
    ここが、上街道の起点になります。

    率川

    猿沢池の南西に位置する、ならまちへの入口付近を流れている率川です。
    川の中に島が作られ、いくつもの石仏が佇んでいます。
    不思議な光景でした。

    元興寺五重塔の跡

    史蹟「元興寺塔阯」の礎石です。
    江戸時代まで勢力を誇った元興寺五重塔の跡に、今は土壇の上に整然と17個の礎石のみが並んでいます、その昔は学問寺で、南都仏教の発信寺でした。
    実は、この場所、桜の隠れた名所です。

    帯解寺

    昔の上街道が線路と平行し、北へ100mの所。
    道に面して華厳宗子安山「帯解寺」が在ります。
    この寺は、弘法大師の師である勤操大徳の開基巖渕千坊の一院で、霊松庵と言いました。ところが、今から約1100年前に人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈りあそばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。
    文徳天皇はお喜びになられ、858(天安2)年の春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事、帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられたとのことです。

    参加者の声

    • 観光地以外の奈良を歩く事ができて良かった。
    • 今回いろいろ説明を聞きながら歩けたのでよかった。
    • 学習してからの歩きですから、よく理解できました。
    • 広範囲に渡って説明していただいて、とても満足です。

    等の感想をいただきました。

    次回、秋の講座は、9月ごろ開催する予定です。

    秋ごろに発行する「奈良しみんだより」を確認してください。