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あしあと

    こんな講座ありました(日露交流史からみる現在のロシア)

    • 更新日:2022年10月28日
    • ID:12429

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    日露交流史からみる現在のロシア<京西公民館:2022年8月7日(日)>

    ここ最近、東ヨーロッパの世界情勢が新聞テレビ等で連日報道されています。

    公民館でも、「思いやりの気持ちを届けたい」「何か小さいことでも行動したい」など、利用者の方との話題に上ります。

    「大切な人の命や家が奪われて可哀そう」などの意見が多く、平和を望む思いはどの国の人もきっと同じことでしょう。

    国を超えた人と人とのお互いへの理解が平和への道筋であり、現在の状況について知りたいと思っている方も多いのではないかと考え、講座を開催することになりました。

    そこで今回は、モスクワ大学院卒でロシア語講師をされている藤川敏宏さんを講師に迎え「日露交流史からみる現在のロシア」と題して講演会を行いました。

    まずは、9世紀後半から13世紀半ばにかけて存在したキエフ大公国の歴史から。
    「タタールのくびき」と言って、モンゴルの支配を受けていた時期がありました。

    その後、政治の中心は、キエフ→ウラジミール→モスクワへと移りました。


    日露間交流の歴史に続きます。

    江戸時代に今の三重県から江戸に向かっていた回船が、嵐のため7ヶ月漂流したのち、アラスカの孤島に漂着しました。

    漂流民の一人、大黒屋光太夫は居住民とのコミュニケーション力、大陸に渡る船の製作にはリーダーシップといった持ち前の力を生かして、数年後にはロシア帝国の帝都サンクトペテルブルグで女帝エカチェリーナ2世に面会を果たし、帰国できました。

    この大黒屋光太夫のお話は井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」や映画にもなっています。


    江戸時代の日露和親条約締結の際には、ロシア側は奈良奉行を勤めた川路聖謨の人柄に大変魅了されたといいます。

    奈良市の佐保川沿いには川路桜が残っています。

    その後、ロシア人のジョーク、ユーモアの表現の仕方などのお話を聞いてロシア人像を思い浮かべました。
    ここ10年間のロシア・モスクワの変化を写真を見ながら具体的なお話も聞きました。
    現在と10年前のロシアの写真を比較して、その変化を知ります。

    講座アンケートより

    • ロシアの歴史に興味を持ちました。
    • 意識しないと他国の歴史や様子を知ることができないが、こういう機会があって良かった。
    • 家族が駐在していた関係で、1999(平成11)年ごろから4~5回ロシアに行きましたが、行く度に発展しているので驚きました。また現在もすごく発展したと思います。
    • 短い時間でしたが、歴史から今の時代まで話が広がっていて良かったです。
    • 知りたいことが多すぎて時間が足りない。

    講座を終えて

    新型コロナウイルス感染防止対策を考えて、講座時間を短く設定し開催しましたが、ロシアは歴史も文化も奥深く、受講の方からは「もっと知りたい」というお声がいくつもあがりました。

    また、一歩進んだ講座を開催できればと考えています。


    講師をしてくださったのは、地域の京西中学校出身で、最近までロシアにお住まいだった藤川さんでした。

    藤川さん、また講師をご紹介いただいた六条小学校PTA関係者、そしてご参加いただいた方々にもお礼申し上げます。

    ありがとうございました。