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あしあと

    こんな講座ありました(柳生石仏巡り)

    • 更新日:2023年2月15日
    • ID:12892

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    柳生石仏巡り <柳生公民館:2022年10月26日(水)> 

    多くの剣豪を生み出した柳生の里には、数多くの石仏が多く点在しています。

    石仏を巡りながら歴史を学び、柳生の里の良さも知ってもらうことを目的に開催しました。

    講座の様子

    柳生観光協会事務局長を講師に招き、石仏について知識を深めながら、歴史的スポットを巡ります。
    恵まれた天候の中、柳生石仏巡りの始まりです。

    陣屋跡

    1642年(江戸時代初期)、柳生宗矩(むねのり)が3年かけて完成させた柳生藩の陣屋跡です。
    『柳生藩日記』によると、坪数は1374坪(454m²)、表は竹の枝門と記されています。
    その後、1747年の火災により全焼し、仮建築のまま明治時代を迎え、廃藩置県により解体されました。
    現在は、史跡公園となり、春は桜の名所として知られ、地域の憩いの場所です。

    歯痛地蔵

    画像は、陣屋跡を降りたところにある歯痛地蔵です。
    「昔、隣村の大柳生阪原に、才智に長け田畑を多く所有していた庄屋の斎藤甚蔵という人がいました。
    甚蔵は、その財力と才智で堰を築き用水路(大井手)を開きました。
    当時としては世の人が夢想だにしなかった大工事だったのでしょう。

    柳生藩主はその事を聞き、甚蔵の才智を恐れ無実の罪をかぶせて処刑しました。

    甚蔵はその際「3年の間に柳生を灰にする」と言って亡くなりました。

    藩主は、これを恐れて毎夜不寝番をおき警戒しましたが、3年後の最後の夜に、怪火が起こり陣屋は火事となりました。

    藩主はこのことを大変恐れて陣屋入り口の自然石に供養の仏像を刻み、その霊を慰めたと伝えられています。」

    (大柳生村史より抜粋)

    家老屋敷前

    柳生藩の財政を立て直したという小山田主鈴氏の旧屋敷である旧柳生藩家老屋敷の前で、少し休憩をしながら説明を聞きます。

    旧柳生藩家老屋敷の石垣には、1841(天保12)年、尾張石工が築いたと記されています。

    みなさん説明を聞きながら、その石垣を熱心に見ています。

    十兵衛杉

    雲一つない晴天。
    歩くととても気持ちがいいです。
    少し小さいですが、前方に見えるのが十兵衛杉。
    十兵衛杉は少し離れたところから見るのが一番よく見えます。

    十兵衛杉は、柳生十兵衛三厳が諸国漫遊に旅立つ前に先祖の墓地に植えたものとされています。

    1973(昭和48)年の落雷により現在は枯れています。

    しかし、その幹回りの太さや木の高さは周囲の木々よりも明らかに大きく、むしろ周辺の風景の中では目立つなど、柳生地域のランドマークの様です。

    中宮寺

    月吹山中宮寺。
    現在は、芳徳寺が柳生藩主柳生氏の菩提寺として有名ですが、柳生宗矩が芳徳寺を建立するまで、この中宮寺が柳生家の菩提寺でした。

    柳生雑記にも「宗厳公」「宗矩公」 「三厳公」「友矩公」と中宮寺に御墓があった記載があります。

    現在は、柳生下町の公民館を兼ねた会所寺となっています。

    柳生下塚古墳

    奈良県最北端の古墳です。
    茶畑の中に横穴式石室が開口しており、玄室は高さ2.7m、奥行き3.6m、幅1.8mあります。
    伝説では、この古墳の石棺を取り出して手水鉢に使っていたと柳生家の家譜「玉栄拾遺」に記録があります。

    阿対地蔵

    阿対(あたや)の石仏の前で説明を聞きます。
    阿弥陀如来様は、流行病よけの願いを聞いてくださると言われています。

    また、向かって左側の地蔵菩薩は、豆腐をお供えすると子どもを授かると言われています。

    子どもを授かると一千個の数珠を作りお礼詣りをするという言い伝えがあり、多くの人に信仰されています。

    疱瘡地蔵

     最後に、「疱瘡(ほうそう)地蔵」に行きました。
    疱瘡よけを祈願してつくられたお地蔵さまです。
    このお地蔵の右下に、室町時代の土一揆によって行われた債務の放棄(徳政)の文が刻まれています。

    土一揆においては、実際に民衆がどのような徳政を勝ち得たのかを理解する史料に乏しく、この疱瘡地蔵に刻ませている徳政碑文より、徳政令の具体的な内容を知ることができます。

    また、領主側の立場からの史料ではなく、農民側の立場からの史料である点としても、歴史的価値も高く認められています。

    その説明をみなさん聞き入っています。

    参加者の声

    • 天候もよく楽しめました。また、大変勉強になりました。
    • 参加者同士の情報交換も楽しかった。
    • 自分一人では行けなかったり、個人観光では見ることができなかったりする石仏も見ることができ、またわかりやすい説明もして頂き、大変ありがたかったです。
     

    講座を終えて・・・

    柳生には歴史的価値の高いものがたくさんあります。

    疱瘡地蔵の徳政碑文は、学校でも習いますし、また入試にも出題されたこともあります。

    まさしく生きた教材です。

    教科書や歴史の本に載っているものが、こんな身近なところにある、すごいことだと思います。

    参加者の中には、柳生の歴史に興味がある方もおられ、以前これらを見に来たという方がいました。

    参加者の声にもありましたが、「一人で見に来ることはできるが、このように詳しい説明を聞きながら柳生を歩くことは、なかなかできない参加して本当に良かった。」と喜んでおられました。

    「柳生石仏巡り」開催して良かったと思います。

    これからも、よろしくお願いします。