こんな講座ありました(文月トーク~吉野町にある旧家の土蔵に疎開していた阿修羅さんの話をご存じですか?~)
- 更新日:2025年10月22日
- ID:15494
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こんな講座ありました(文月トーク~吉野町にある旧家の土蔵に疎開していた阿修羅さんの話をご存じですか?~)<若草公民館:2025年7月29日(火)>
公民館が人権学習の拠点となり地域の方々が平和や人権について一緒に考えていけるように、若草公民館と若草公民館自主グループ連絡協議会は、毎年7月に共催で人権学習会を行っています。
今回のテーマは「戦争と平和」。
太平洋戦争の空襲の影響で、興福寺の国宝の仏像が極秘裏に列車で疎開をしていたことをご存じの方は少ないのではないでしょうか?
阿修羅さんをはじめ数体の仏像が、列車に乗って吉野町のある旧家の土蔵に疎開していたのです。
この講座では、仏像の疎開先であった舟知家のご子孫の舟知節子さんから、伝え聞いておられる当時の様子などをお話いただきまたした。

まず初めに、もうお一人の講師である奈良県立同和問題関係史料センターの深澤吉隆さんから、奈良と戦争についてのお話を聞きました。
奈良の町は古い建物が多く残っていることから、「奈良は文化遺産が多いので京都とともに爆撃対象から外れ太平洋戦争での被害を受けなかった」という話をよく聞きます。
しかし、1945年6月には法蓮町と法華寺町に奈良市で初めての空襲がありました。法蓮町の空襲では、佐保国民学校一年生の少女が被弾した際の火傷で亡くなってしまい、今でもお地蔵さんがまつられています。
これ以外にも白毫寺町、JR奈良駅、奈良女子高校、月ヶ瀬、柳生なども空襲や機銃掃射を受けたそうです。

1941年、東京の文化財疎開の方針が打ち出され、奈良でも正倉院御物の疎開が検討されました。
このような時代の流れにより、1945年7月には阿修羅像はじめ十大弟子、八部衆等の著名な興福寺の仏像が、奈良から吉野町の舟知家に疎開しました。鉄道で移送されたことは分かっていますが、ルートは不明で、レールの幅から、JR万葉まほろば線→和歌山線→近鉄吉野線のルートだったのではと考えられています。
阿修羅さんが安置されていた土蔵は現存していますが、疎開関係の文書は残っておらず、舟知家の当事者が国宝疎開の事実を近年まで伏せていたこともあり、詳細は明らかではありません。
今回の講座では、ご子孫だからこそ伝え聞いておられる当時の様子をお聞きしました。
おばあさまが毎日お供えを欠かさなかったこと、まだ幼かったお父さまが土蔵の窓から見た仏さまが少し怖かったと言っていたことなど、舟知さんの奈良弁のゆったりしたやさしい語り口で、聞き手の私たちも当時の様子を思い浮かべることができました。

NHK奈良放送局が取材に来られて、参加者へのインタビューや吉野町での現地取材などのリポートと合わせて、後世に伝えたい大切なこととして、後日夕方の番組の「ならナビ」で放送されました。
参加者の声
- とても興味深いお話でした。語り継ぐことの大切さを思いました。ありがとうございました。
- 本当は考えないといけない、難しく大切なことをわかりやすく親しみやすく話していただき良かったです。
- 私も父母にもっと戦争のことをきいておけばよかったと悔やんでいます。
- 貴重な画像とお話を聞けてよかった。
- 仏像の疎開について興味深いお話をありがとうございました。一条通に爆弾が落とされたことは知りませんでした。
- 仏像疎開について初めて知りました。民家に疎開されていたのですね。寺院によっても違ったとか。興味深い内容でした。ありがとうございました。
- 今日は奈良でも戦争による被害を受けていたことや、国宝が避難せざるを得なかった厳しい状況であったことが具体的に示されて興味深かったです。
- 奈良の戦時中のことを知ることができました。多くの方々の工夫、努力により宝物が守られたことがよく分かりました。このような機会に感謝します。今後も大切に守る必要があると感じました。
講座を終えて
定員に対して多くの方にお申込みいただいたので、一人でも多くの方に聞いていただけるよう席数を増やして開催しました。
安全と思われていた奈良でも国宝の大切な仏像が疎開を余儀なくされるほど住民にも危険が迫っていた戦争中のことを思うと、今の平和を何としても守っていかなければならないと感じました。
今後も、若草公民館自主グループ連絡協議会の皆さんと平和や人権の大切さを考える講座を開催していく計画です。
お問合せ
若草公民館
住所: 〒630-8202 奈良市川上町575番地
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