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こんな講座ありました(幻のロープウェイの軌跡を追って)

[2018年6月28日]

ID:8885

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幻のロープウェイの軌跡を追って<田原公民館:2018年5月30日(水)>

「田原の近代化遺産をめざして」

近代化遺産とは、幕末以降の日本の近代化を支えた事柄を文化遺産として捉えるものです。

この講座で取り上げるのは、近代化遺産になれなかった幻のロープウェイについてです。

大正時代から終戦後数年間までの30年以上にわたって、奈良市と大和高原間を貨物輸送したロープウェイがありました。

「奈良安全索道」と呼ばれたリフトのようなその輸送手段は、1952(昭和27)年に廃止されており、その姿を実際に見た人は高齢により徐々に減少しています。

この講座は、知られざる索道の詳細を探り、地域に残る痕跡を追うことで近代史を学び、同時に田原や都祁の産業構造を知ることを目的として開催しました。

はじめに

かつて、幻の鉄道と言われた大仏鉄道。

2002(平成14)年当時まだあまり知られていなかった大仏鉄道を探る講座を、若草公民館で開催しました。

その後、大仏鉄道はブームとなり、奈良市・木津川市の一大観光事業に発展したのはご存知のとおりです。

あれから15年半。

田原でもそんな幻のレガシィを発掘しました。

それが「奈良安全索道」です。

今から約100年前に大和高原に突如現れた貨物運搬用の天空ロード。

講師紹介

この講座名はかつての「大仏鉄道の浪漫を追って」のオマージュとして名付けました。

受講生の皆さんを索道の旅へとご招待します。

第1部 索道の歴史とあらまし

講師は、大仏鉄道研究会副会長の高橋正男さんと奈良県文化財保護指導委員の浦川温亮(うらかわはるあき)さんです。

おふたり曰く、1920(大正9)年当時の金額で38万円という大金(現在の貨幣価値は当時の約8,000倍、現在なら約30億4千万円!)を投じて建設された「奈良安全索道」。

全国的に架空索道が建設され、奈良を含めた数十か所の工事を、大阪にあったゼネコン(株)安全索道協会が請け負っていたといいます。

講師紹介

索道のあらましを解説する高橋さん。

借り組みの様子

庭から搬器が見つかったという浦川さん(写真左)。

その昔、国鉄奈良駅に次いで賑わいをみせていた京終駅。

そこには、中央市場があり、奈良のあらゆる物資が集結していました。

当時の大和高原の産業の中心であった凍豆腐、そして建材である材木、生活必需品の薪などが索道に載って、今の都祁小倉や田原から運ばれていたというのです。

牛車や人の手によってモノが運ばれていた時代。

京終駅~田原~小倉の索道開通は、物資の輸送に革命をもたらしたといっても過言ではありません。

地図

大正当時の索道路線図
(提供:大和高原文化の会)

スライド

スライドで現在の様子と比較します。

第2部 体験者の声

第2部は田原地区にお住まいで実際に索道に関わりのあった方にお伺いします。

皆さん、索道の架線沿いにご自宅がある方です。

北森久壽(きたもりひさとし)さん、貫定毅巳(かんじょうたけみ)さん、岡井稲郎(おかいいなお)さんにお話を伺いました。

体験者のお三方

当時の思い出を語る北森さん。
索道が廃止される少し前、4歳くらいだった北森さんはお母さんに手をひかれて、親戚の家を訪れます。
その道中、空を見上げると索道が荷物を載せて動いていたといいます。
今は獣道になってしまったそのルートは、地図上の索道架線にぴったりと合います。

開通時の招待状

索道開通時の招待状です。
(提供:貫定毅巳さん)

貫定さん

「索道のことはよく覚えている」と言う貫定さんのお話。

貫定さんにお聞きしたのは、鉄塔(昭和に入るまでは木柱)のコマの油さしをする作業員のこと、箱形の搬器以外に材木を運ぶための専用のアームがあったこと、そしてご自身が買ってもらった自転車が索道に乗ってやってきたことなどです。

どれも実際に索道に触れられたからこそのお話でした。

最後に、大正当時流行にした「東京節」という歌の替え歌があったという話になり、

その替え歌を実際に歌っていただきました。

田原は山中のまんなかで

京終から索道が通じてるお茶にお米に凍豆腐

炊き木に材木運んでる

社長 社長は永岡氏

みんなの力でもりあげろ

地域の青年団の会合などで歌われていたというこの歌は、今ではほとんど覚えている方はいらっしゃらないものです。

記憶の彼方から呼び戻されたこの歌詞。

しっかりと記録しておきます。

岡井さん

最後は岡井稲郎さん。
ご家族が索道の駅長だったという岡井さんは
多才で田原では知らない人がいないほどの有名人です。
田原にあった2つの駅、天満駅と八反田駅。
そのそれぞれの駅長がお父さんとお祖父さんだったというのです。
幼いころよく駅に遊びに行っていたといい、悪さもやったと笑いながら話す少年のような岡井さん。
たった1度だけ、京終からお祖父さんと一緒に索道に乗って帰ったことがあるといいます。

基本的に荷物運搬用の索道ですが、実際乗った話を今伺えるのは、岡井さんだけかもしれません。

各駅中の事務所には専用の電話が引かれていたといい、勝手に電話をかけて、電話に出た大人相手に冗談を言ったエピソードなども聞きました。

第3部 現地の見学

昼食をはさんで第3部。

あいにくの雨の中、歩いて天満駅の跡地に向かいます。

歩くのは昔の伊勢街道です。

天満と呼ばれる場所はその街道沿いにあり、田原地区の物資が集まる重要な場所だったといいます。

岡井さんと受講生

岡井さんの解説で往時を偲びます。

天満駅跡地

倉庫と事務所跡が残されています。

天満駅跡地2

天井の梁などはそのままの形だといいます。

幻というだけあって、遺構はほとんど残されていません。

それは、索道の終了とともに解体・撤去され、その土地は従業員の退職金として充てられたとのこと。

さらに農地改良や圃場整備などで、礎石なども今はもう失われています。

自転車

最後に案内人の岡井さんのご自宅に伺い、大正時代に天満駅の駅長だったお祖父さんが通勤に使っていたという大正時代の自転車を見せていただきました。

自転車も貴重な運搬手段だった、そんな時代のものです。

映像

公民館に戻り、皆さんに実際に索道に乗るとどういう景色が見られるのかを体験していただこうと、数日前にドローンで空撮した矢田原町八反田駅から南田原町天満駅までの映像をご覧いただきました。

高原の浪漫飛行を楽しみ、当時の田原の人の夢を重ねてみることができました。

このとき、皆さんにご覧いただいた映像をYouTubeにアップしてあります。

こちらをご覧ください。

参加者の声とまとめ

架空の索道に乗った皆さんは目を輝かせて、当時の様子に胸を弾ませていたようでした。

最後に、参加者の方の声をお届けします。

  • 索道は時代の流れとともに消えていきましたが、地域の誇るべき宝であると認識しました。
  • 実際に索道を見た方、乗った方、索道に関する資料を持っておられる方々の生の声を聞けて想像が具現化した。
  • 今まで知らなかった世界。大いに興味がわいた。
  • 100年前の田原~京終の繁栄を感じることができた。
  • 地元の方の直接の体験が伺え、わかりやすかった。

などの意見をいただきました。


今回、知られざる索道にスポットをあて、索道の概要と当時を知る方々の生の声をお届けしましたが、まだまだ埋もれている情報や資料がありそうです。

そして、この索道を幻のままにしておくのか、それとも冒頭の「近代化遺産」に変えていくのか、それは、索道に興味を持ち、ファンになってくださる皆さん次第です。

この講座をきっかけに、田原に索道の歌がまた響けばいいなと感じています。


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