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あしあと

    こんな講座ありました(プチ田舎暮らし・都祁―凍豆腐―)

    • 更新日:2024年6月23日
    • ID:13958

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    プチ田舎暮らし・都祁―凍豆腐―<都祁公民館:2024年2月3日(土)>

    この講座は奈良市東部地域において地域の自然・歴史・風習・食・技などに触れて田舎の暮らしを知り、農作業などの体験をすることにより、生きがいを感じることを目的として開催しています。

    奈良県の一大産業となった凍豆腐について保存・再現されている道具を使い、凍豆腐作りの体験をしました。

    今回も大西勝治さんと大西武男さんご兄弟に講師をお願いしました。

    石臼、水箱、豆腐切りなどの道具は、大西さんが実際に当時の凍豆腐工場で使っていたものです。

    過去の講座の様子はこちら↓

    当時様子についてお話を伺います。
    小倉町の杉本武助さんという人が、お地蔵さんにお供えした豆腐が凍っているのを見て、「この町でも凍豆腐作りができる。」と考えて、高野山へ技術習得に行かれたのが始まりだとか。
    その後、凍豆腐作りは小倉町だけでなく白石町など周辺にも広がり、寒さ厳しい都祁の気候を活かした冬場の産業として、日本一の生産量を誇るまでになったそうです。

    当時は、丹波地方からの出稼ぎの方もいたとのこと。
    製品や原材料の輸送には「奈良安全索道」というロープウェイを使った輸送システムが、小倉から針町を通り山田、田原、さらに奈良市街地の京終町まで通じており、凍豆腐作りはこの一帯の巨大産業となっていました。

    大西さんの家にあった凍豆腐工場でも、作業の手伝いをさせられたりしていたそうです。

    安全索道のコースは、田原公民館のこんな講座ありました(幻のロープウェイの軌跡を追って)をご覧ください。

    → http://manabunara.jp/contents_detail.php?frmId=8885

    それでは、凍豆腐を作ります。
    先ず、あらかじめ一昼夜水に浸けていた大豆を石臼で挽きます。
    1人では大変なので、大豆を投入する人、石臼を回す人、挽かれた大豆を掬い取る人に役割分担して作業しました。
    豆を入れないと挽けないし、入れすぎると詰まったり粗くなったりするしと・・・石臼に慣れるまでが大変です。

    石臼を2台使いましたが、なかなか大変です。
    初年度には、挽くだけでお昼を過ぎてしまいました。
    今年は、石臼のハンドルや溝を補修して来てくださったので、石臼の作業が順調に進みました。
    もちろん、参加者の皆さんのがんばりもあっての話です。

    さらに、ハンドル式の機械も併用します。

    想定していたよりも短時間で大豆を引くことができました。

    挽いた大豆を大鍋で煮ます。

    沸騰してくると泡が溢れそうになります。
    少量のサラダ油を入れて泡を消します。
    これを「泡消し」というらしいです。
    サラダ油を入れると、不思議なくらいサッと泡が消えます。

    大豆を煮たものを「ゴ」といいます。
    次は、「ゴ」を袋に入れて絞ります。

    桶の上に木枠を組んで、その上で袋を絞ります。
    木の棒を使って絞り上げたり、上から押さえたりしながら、強く何度も絞り上げます。
    袋の中に残ったのが「おから」です。
    絞り出てきたのが「豆乳」です。

    「豆乳」に「にがり」を入れて固まらせます。
    入れる量やタイミングはとても微妙で、しゃもじで様子を見ながら少しずつ入れていきます。
    しゃもじで薄くすくい取った豆乳が少し固り始めるのが目安です。

    次は、水箱に布を敷いて、水切り作業です。
    この水箱も、当時使われていたものです。

    水箱の上に蓋を乗せ、その上に重しを乗せて水分を絞ります。
    しばらく時間がかかるので、その間昼食タイムです。

    木枠に穴が開いています。
    この木枠は、豆腐の最終完成品のサイズから逆算されて作られています。
    水切りすると、次の切り出しの用具を使うのにピッタリのサイズになります。
    さらに切られた豆腐を冷凍・乾燥させて整形すると、出荷サイズの製品になります。

    こちらは、豆腐を切る箱です。
    中央の仕切りには縦に刃がついています。
    仕切りの左に豆腐を置き、左から右の方へ豆腐を押すと、縦方向に等間隔に切ることができます。
    次に豆腐を向こう側から手前側に押します。
    手前の枠にも刃がついているので、横方向にも等間隔に切ることができます。

    縦・横の2アクションで同じ大きさの豆腐が綺麗に切れて出てきました。
    参加者からは「オー!」と歓声と笑顔が。
    この豆腐を外に並べて凍らせ、乾燥させたものが「凍豆腐」です。

    最終製品にするには、凍豆腐をカンナで削って整形し、箱に詰めて出荷していたそうです。
    「ゴ」を搾った残りは「おから」に、水切りで出てきた水は田んぼに流して肥料に、整形した削りカスは「こうやの粉」として食べるというふうに、全て無駄なく使われていたそうです。

    大西さんの工場は学校の近くにあったので、学校の掃除の時間には工場から水切りで出てきた水を使って拭き掃除をしていたそうです。

    水は温かいし、拭いた廊下はピカピカに、拭いた後の手はスベスベになったそうですよ。

    参加者の声

    • 凍豆腐の歴史がわかって楽しかったです。
    • 昔の話をたくさん話してくださったのが楽しかったです。
    • 家でも作りたいので、詳しい分量などを知りたくなりました。
    • ご高齢の大西様、ありがとうございました。お体に気を付けていただき、来年もよろしくお願いします。
    • 都祁の歴史を伺い、とてもよかったです。
    • 現役時代の思い出話をいろいろと聞け、昔の都祁に思いをはせました。

    講座を終えて

    噂話でしか聞いたことがなかった凍豆腐を作っておられた大西さんが、なんでも近隣の小学校の子どもたちに、当時のことを教えていると伺って、この講座を企画しました。

    そして、昔の道具を保管・展示されている山添村の歴史民俗資料館に見学に行ったとき、大西さんが「当時使ってた石臼あるで。水箱もあるで。実は、これ全部使えるんやで」との話。

    驚きました。

    80年ほど前に使われていた道具が、展示されているだけでなく、今も使える状態にあり、それを講座で使わせていただけるというのです。

    この数年、石臼を見たことはあっても使った参加者は、ほとんどいらっしゃいませんでした。

    取っ手が抜けたりすることもありましたが、「修理して使える」のが昔の道具の素晴らしいところだと思います。

    今回も、ハンドル式の機械以上に、石臼の活躍は大きかったようです。

    石臼を回して、普段使わない筋肉を使って、筋肉痛になるかもしれませんが、それも含めて「楽しかった」と思っていただければ幸いです。

    作業中、大西兄弟の昔話を交えた和やかなやり取りを聞きながら、ほっこりとした雰囲気で講座が進み、豆腐は完成しました。

    豆腐から凍豆腐への最終工程は、それぞれが自宅に持って帰ってしてもらうことになります。

    おいしい凍豆腐が完成することを期待しています。

    ただ「おいしい」と思っているのは人間だけではないようです。

    昨年も乾燥中に「カラスに盗られた」との話が、参加者の皆さん乾燥の際には、そのあたりも気を付けてくださいね。