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あしあと

    こんな講座ありました(平城歴史ウォーク)

    • 更新日:2025年1月28日
    • ID:14748

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    平城歴史ウォーク<平城公民館:2024年11月13日(水)>

    都として栄えた奈良には、多くの史跡があります。

    その地元を知るために、NPO法人なら・観光ボランティアガイドの会朱雀の説明を聞きながら史跡を巡りました。

    また、無理のない距離を歩くことで運動習慣のきっかけづくりをしました。

    コースは、平城公民館⇒競馬場跡 ⇒ 秋篠寺 ⇒ 西大寺奥の院 ⇒ 垂仁天皇陵 ⇒ 西方院 ⇒ 龍蔵院 ⇒ 近鉄西ノ京駅(解散)まで約3時間約6kmの道のりを巡りました。

    当日は大変天気が良く、暑くなるのではと思われた日でしたが、歩いていても汗もかかない程度の気候で、身近な史跡を楽しく見て回れました。

    平城公民館を出発。
    競輪場の駐車場近くで、かつて奈良に競馬場があったことについて説明を聞きます。
    1939(昭和14)年に奈良市の尼辻町近くにあった競馬場が、この平城のこの地に移りました。
    阪神競馬場内回りコースに似たお結び型のコースで、地方競馬場としては一周が最大1600mあったそうです。

    秋篠寺は奈良時代末期780年頃、光仁天皇の勅願によって建立されました。
    平城京西北の外れ「秋篠」の地に建てられたためこう呼ばれています。本堂に25体安置されている仏像の中でも特に著名なのが伎芸天(重要文化財)で、諸技諸芸の守護神として多くの芸術家や芸能人らに慕われています。

    西大寺奥の院(法界躰性院)。
    小尾から見る五輪塔が素敵です。

    八幡神社。
    約700年前ごろ、西大寺では毎年修正会の後1月16日に鎮守八幡宮の社前でご祈祷があり、参拝者に湯茶のふるまいがありました。
    西大寺の有名な大茶盛由来となった神社です。

    垂仁天皇陵。
    全長約227m、周囲に満々と水をたたえた濠をめぐらせたその美しい姿が神仙境、宝来山の姿にふさわしい、古墳時代初め(5世紀初め)の前方後円墳です。
    そして、御陵に寄り添うように浮かぶ小さな島があります。
    これは天皇の死を哀しみ、あとを追うように死んでいった田道間守(たじまのもり)の墓と伝えられています。

    これらの説明は、なら・観光ボランティアガイドの会朱雀が当日配布してくださった資料を参考にしました。

    受講者の感想

    • 一度は行っているところでしたが、いろいろと忘れていたので良かったです。
    • 西大寺周辺の道がよくわかり、また歴史的な内容が良かったです。
    • ガイドの方の説明が良かったです。
    • 天候も良くとても気持ちよく西大寺周辺の史跡を回ることができました。

    などの感想をいただきました。

    講座を終えて

    今回もNPO法人なら・観光ボランティアガイドの会朱雀の方々に案内していただき、奈良再発見の講座を開催することができました。

    来年度も開催予定です。

    詳細については、「ならしみんだより」や「奈良市生涯学習財団ホームページ」をご覧ください。