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あしあと

    こんな講座ありました(プチ田舎暮らし・都祁―古代米どら焼き―)

    • 更新日:2024年2月29日
    • ID:13898

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    プチ田舎暮らし・都祁―古代米どら焼き―<都祁公民館:2024年1月21日(日)>

    この講座は、奈良市東部地域において地域の自然・歴史・風習・食・技などに触れて田舎の暮らしを知り、農作業などの体験をすることにより、生きがいを感じることを目的として開催しました。

    今回は、古代米を使った「どら焼き」作りです。

    「プチ田舎暮らし・都祁―ゆったり古代米―」でお世話になった羽間さんの妹さんが講師です。

    羽間さんが栽培されている黒米を米粉にして生地を作り、同じく田んぼの畔で栽培している青大豆であんを作ります。

    羽間さんから黒米の説明と青大豆(都祁で長く栽培されている大豆)の説明です。

    小型の粉ひき機を使って、黒米から米粉を作る様子も見せていただきました。
    機械の受け皿に黒米を入れると、下の方の口から灰色の粉があふれ出てきました。
    米粉っぽい色ではありません。
    機械の内部は小型の石臼がモーターで回っているそうです。

    灰色の粉が、黒米の米粉です。
    みたことの無い色ですね。
    どうなるのでしょう。

    羽間さんからいただいたレシピに従って、米粉ときび糖、油、水を計ってボールに入れ、混ぜて生地を作りました。

    この灰色っぽい米粉。
    水を入れると黒色になりました。

    続いて、あんを作ります。
    ゆでた青大豆ときび糖、塩、水を袋に入れ、豆をペースト状につぶしながら混ぜて作ります。
    きび糖は、羽間さんの沖縄の知り合いの方が自然農法で栽培したさとうきびから作られているものだそうです。
    このあんの色は緑色です。

    ホットプレートで生地を焼いていきます。
    薄く延ばして色をよくよく見ると、黒より濃い紫色に近いかもしれません。

    焼けてくると紫色に近くなってきました。

    表面の水分が飛んでしばらくすると、裏返しにして反面も焼きます。

    両面が焼けたら、あんをはさんで出来上がり。
    古代米どら焼きの完成です。
    見た目の色が印象に残ります。

    さて実食。
    生地は、しっとり・もっちりとした食感で、あんは、きび糖のほどよい甘さがピッタリでした。
    「美味しい!」

    羽間さんから黒米や青大豆ができるまでの様子や、田植えの頃から脱穀までの様子を写真で教えていただきました。
    「プチ田舎暮らし・都祁―ゆったり古代米―」に参加されている方もいらしゃいました。
    これからの準備の様子については、皆さん興味津々。
    春先の頃の写真は「なつかしいなあ。」としみじみ思い出しながら見ておられました。
    羽間さんが、周囲の田んぼと違う品種を自然農法で栽培されているのは、病気・害虫・害獣・雑草の対策などいろいろ考えられてのことだと思います。
    その分、苦労も多いようですよ。

    参加者の声

    • 黒米の米粉はなかなか手に入らないけれど、家で、普通の米粉を使ってどら焼き作りをしてみます。
    • 米粉を作る様子を見たり、あんこを作ったり楽しかったです。美味しかったです。
    • とても楽しく学ぶことができました。
    • 黒米はとても珍しいので、貴重などら焼きが作れてよかったです。大満足です。
    • どら焼きは、もちもちしておいしかったです。
    • レシピもわかりやすく、次も作れそうです。とってもおいしかったです。

    講座を終えて

    今回の「プチ田舎暮らし・都祁―古代米どら焼き―」の講座の企画は、羽間さん一家と古代米づくりの打ち合わせをしていた中で、ふとしたことから生まれました。

    今回で2回目ですが、初めて古代米どら焼きを食べた時の味が、見た目の印象から想像とずいぶん違いました。

    米粉の色は灰色。

    そして、水を加えた時の米粉の色は、驚くような黒色。

    焼きあがったどら焼きの生地の色は、紫色。

    青大豆から作られたあんは緑色。

    紫色の生地に緑色のあん。

    参加者の皆さんも、驚くことが多かったのではないでしょうか。

    そして、それを口に入れた時のもっちりとした食感は想像と違って、とても美味しい。

    新鮮な体験となったようです。

    都祁には、縄文時代の遺跡が身近にあります。

    いつも見かける遺跡を思い出しながら、もしかすると、その頃に住んでいた人たちも、この黒米を口にしていたかもしれない・・・と考えると不思議な気持ちになりました。